味仙人 relish hermit

40代おひとりさまの仙人暮らしのような日常を綴っています。一人暮らしの晩ごはん(ひとり飯)の献立や食費を中心に、おひとりさまが思うことなどを。

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菜の花と田舎っ子のアイデンティティが育たなかった子供時代

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こんばんは、アジです。

ガソリンを入れるついでに菜の花を見てきました。ここのところ毎度のごとく呟いていた「遠出がしたい」の一言。

ガソリンを入れ、家とは反対方向に向かう車。このまま、どこか遠くへ行ってしまいたい。

数キロ走ったところで景色は緑に変わり、前へ前へと進みます。だけど、ちっとも楽しくない。

まだ生活圏内なのでドライブとも言えぬ距離。それ以上先へ行ったところで、無駄にガソリンを使ったと後悔しそうだったので引き返すことにしました。

せめて梅の花か菜の花を見たいと、少し遠回りをして帰ることに。

 

 

田舎っ子

地方の田舎で育ったはずなのに住宅街で成長した私には、田舎っ子のアイデンティティが育っていません。田舎に帰省する人たちを映像で見て羨ましいと思っていたくらい、田舎っ子の自覚も経験も薄いのです。

町には田んぼや畑、都会っ子からすれば充分田舎なのでしょうが、私が抱く田舎は里山なんですね。同じ市内なのに、ほんの少し位置が変わるだけでそこは里山

家が密集し、スーパーや公共施設、病院が整ったいわゆるコンパクトシティもどきの中で育った者にとって、車でしか行けない数キロ先の里山は同じ故郷であって故郷でない場所。

今や全国どこの街にもチェーン店が建ち並び、同じような風景が広がっています。

 

田舎っ子らしく育ちたかった

住宅街で育った私たちが遊ぶ場所といえば公園か友人の家くらい。自転車に乗り出すようになり、お金を手にしてからは、地方特有の商業施設を目的もなく徘徊したりカラオケへ行ったり。

一時的に都会に憧れてみたり、友人たちと過ごす楽しさの中で意識にはあがってきていませんでしたが、私が過ごしたいのはこういう田舎暮らしではないという想いは子どもながらにあった様にも思います。

 

こんなところに住みたい

今日遠回りをしたのはそんな里山が広がる道。家が点在し、すぐ裏手は小山。

欲を言えば自分の好きな町の里山に居を構えて残りの時間を過ごしたいですが、好きな町にこだわらなければ全国どこにでもそんな場所はあるのですよね。

今日・明日の飯の心配をしている状態で何を言っているんだという話ですが、思うのは自由。

菜の花が続く道を走りながら、少しばかり希望が見えてきました。