味仙人 relish hermit

40代おひとりさまの仙人暮らしのような日常を綴っています。一人暮らしの晩ごはん(ひとり飯)の献立や食費を中心に、おひとりさまが思うことなどを。

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直感に従えない苦しさ

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こんにちは、アジです。

先週初めから梅の花が咲き始めているのをチラホラ目にしました。春一番も吹いた事ですし、もうそろそろ冬は終わりですね。

ということは、これからは毎日がお出かけ日和ということに。

既に始まっていますが、これからしばらく過酷な日々を過ごすことになると思うと、もうしばらく冬であってくれと思わなくもないところです。

心地よい過ごし方

好みの過ごし方をインドア派/アウトドア派などと言いますが、私は外に出掛ける方が充足感を得やすい性質です。ひたすら寝るのも幸せだけれども、充足感とはまた別のもの。

外出自粛の数年間は、自分がインドア派だったらどんなに良かったかとひたすら思っていました。

私がずっと罰ゲームをくらってるような気分になっている一方で、特段これまでと変わりなく過ごしている人達もいたわけですから、家の中で完結する趣味は強しです。

 

籠もり期間

インドア派ではないとはいっても、定期的に又は不定期で籠もり期間に突入する私は常に外に出ていたいわけでもありません。

籠もり期間とは、私の中での陰陽のバランスを取り戻す期間のようなもので、勢いよく過ごした後の調整期間にあたるもの。

寒い時期は冬眠中の生き物のようにエネルギー消費を抑える過ごし方に。また、物凄い量のエネルギーを消費したあとや酷くストレスが掛かったあとは、心身共に復活するのに時間を要します。

必然的にインドア派らしい過ごし方にはなるものの、好んでそれをやっているわけではありません。私が家の中に居るという事はエネルギーが枯渇状態ともいえるのです。

要は燃費の悪い車と同じ、またはコスパが悪いのが私の生き方なんでしょうね。

 

外に出たい

エネルギーを補給する時期と消費する時期の切り替わりのタイミングがまさに今やってきているのですが、出掛けたい欲に対し生活面に余裕がありません。

消費の時期には休日にじっとしている事がないほど遠くまで車を走らせる事も多く、心のおもむくままどこかへ向かっています。

 

直感に従えない苦しさ

計画性は無く、天気が良いからあの景色を見たい、あの温泉に入りたい、潮風を浴びたい、そんな風にその時の自分の感覚に素直に動くことで出会ったモノ、人、場所というのは数多くあります。

今回も暗い時間を経て久しぶりに「◯◯へ行きたい」と、いや「行きたい」ではなく「行かなければならない」ようなものを感じたのですが、行けるような状況ではありません。

たとえ物価高・ガソリン高騰といっても、収入があれば昨日の夜にでも出発していたかもしれません。

「勝てそうな気がする」というギャンブル依存症の人のそれと大差ないと言われればそうかもしれませんが、直感に従えない、従わないというのは、その後が良かったためしがないのも私の人生です。

こんな事はだいぶ昔にもあったのですが、その時も自分の感覚をひたすら封印していました。数年後、思いもよらない方向に人生が回り出し、結果的にあのときの我慢は無駄にはならなかったとも取れるわけですが、なんとも勿体ない時間の過ごし方をしたという後悔は今でも拭いきれません。

 

いざという時の

いまや貯金や貯蓄はいざという時のためのものではなく、老後を生きるためのものになっているようです。

「老後困らないように」「将来苦労しないように」

ずっと未来の不安に怯えながら生きる人生。

意識を常に今ではなく未来に向けて生きていかねばならない人生。

そしてその未来は「期待」ではなく「恐怖」に包まれている。

それは夜間に落ちてくるかもしれない爆弾に怯えるよりも遥かに、長期的に心身を蝕むようにも思えます。

 

まとめ

直感に従えない苦しさは、せっかく芽を出そうとしている植物に水を与えない、陽を当てないのと同じこと。

そして、そんな状況に自分を追いやっているのも自分という残念な話でした。