こんばんは、アジです。
今夜は20時には布団に入ったのですが、いまこうしてブログを書いています。
このまま眠りに入ってしまうと消化しきれないような気がしたので、記事にすることで綺麗サッパリしてしまおうと思います。
タイトルの通りなのですが、1年経った今日ある真実を知ってしまったのです。正確には1年と3ヶ月、または1年と1か月。
小さい嘘から大きい嘘まで。優しい嘘から汚い嘘まで。40数年生きていればどこかしらで誰かに嘘をつかれていたこともあったでしょう。
知らぬが仏なんて言いますが、人に嘘をつかれる、騙される、なんてそう何度も経験する事ではありません。
まさか今回の件、私が騙されていたとはつゆほどにも知らず、こんな事もあるのだとただただ呆れました。
一体何のことを言っているのかというと、ある人との対人関係の話です。
「なんとなく」は、なんとなくじゃなかった
オカルトじみた事は言いたくないのですが、なんとなく嫌な感じがする、なんとなく恐怖を感じる、なんとなく関わると体調不良になる、そんなことを虫の知らせとでもいうのでしょうか。
オカルト関係なく、相性が合わない人、会話が成り立たない人、話していて疲れる人、胡散臭い人、辻褄の合わない人など自分にとって良くない相手というのは自然と距離を置きたくなるものです。
つい最近あったこと
つい最近、その「危険」を知らせる主題とは別の出来事が身近でありました。
ある方が疲れているような話を耳にしたので心配して声を掛けたところ、予想外の反応が返ってきたのですね。突付いてはいけないところを突いてしまったのかもしれないと反省し、以後その方に深入りするのは止めました。
これは過去にも同様の出来事で痛い目にあっているので、トラウマのような教訓なようなものになっているのですが、普段から引け目や負い目を感じている人にそれについての心配の声を掛けるということは、地雷を踏むのと変わらないということ。
たとえ私がその人を心配していたとしても、その様な相手の場合「攻撃された」「非難された」と受け止められてしまう可能性があります。
過去、私が掛けた言葉とは180度違う話、違う言葉として相手が受け取っており、トラブルに発展したという事がありました。聞くと、以前にもその人は同様のトラブルを巻き起こしていた様で、関わるのは危険な相手だった様です。
その時の事を思い出し、最近あった出来事では早めに今後の関わり方を考える事ができました。
エナジーバンパイアとか
人のエネルギーを吸い取る人を「エナジーバンパイア」などと呼ぶ風潮が一時期ありましたね。
言わんとする事は分かるものの、サイコパスも同じく自分と合わない人をレッテル貼りして自分を優位に、相手を悪者に仕立て上げるその流れもどうかと感じていました。
合わない人はどうやっても合わないですし、相手からしたら自分が「エナジーバンパイア」「サイコパス」と呼ばれている可能性だってあるわけです。
関係性や立場、その時々の状況で人は色々な自分を生きていますから、安易にレッテル貼りをするのも控えたいもの。
しかしながら、個人間での相性の域を超えて周囲が危険な何かを覚える人がいるのも事実です。
私が知り合ってしまったタイトルのその人も、そういった話だったのかもしれません。
不可解な相手
今回の主題であるその方と知り合った当初、仲良くするにはやや問題がありました。
これまでの自分の実績や経験した事を話してくれるのですが、どこそこに計算高さや姑息さを感じるものがありました。
人心掌握の技なるものを躊躇なく私に話すその人。
また、会話をしていると何故か討論のようになってしまうのです。討論ならまだ良いのですが、私の考えは間違っていると責め立てられる事が多く、会話を終えたあと物凄く疲れ切っている事も。
普通に会話や時間を楽しみたい私に対し、何から何まで非難出来る要素を探しては「そうじゃなくて、こうした方がいいのに」「もっと世の中のこと勉強したほうがいいんじゃない?」「自分さえよければいいのか」「なぜ疑問にも思わずそれを行うのか」「お前みたいな奴が人に迷惑をかけるんだ」「お前らみたいな奴らに迷惑をかけられたくない」などと言われるばかり。
世の中に対する不平不満や訴えたいことを、全力で私にぶつけている様でもありました。
先の「引け目」や「負い目」を感じている人の話に照らせば、私自身が被害妄想をおこしているだけか勝手に非難されていると感じているだけではとも言えるのかもしれませんが、そこには整合性がないのです。
人にはそれぞれの考え方、感じ方があるのが当たり前で、どちらかが一方的に正しいなんて事はないと頭では分かっていながらも、そんな事がしばらく続くと、自分はそんなにおかしな事を言っているのか?自分はおかしい人間なのか?と自己否定が起き始めます。
なぜそこまで私のやることなすこと非難されないといけないのだろう?と強気な自分も奮闘しているのですが(実際に相手にもそうぶつけていました)、どんどん本来の自分が萎縮していくのを感じていました。
ほんの短期間とはいえ、なぜそんな暴言を吐かれてまで交流を続けていたのか今では不思議でなりませんが、心理的に相手の支配下に置かれそうな、または既に置かれている状況だったのかもしれません。
また、知り合った当初からどうも「地位」や「名誉」に重きを置いている人なんだろうという事は感じており、それが良いとか悪いとかではなく私とは価値観の違う相手でもありました。
分かり合えるようで分かり合えない
当初、それまで居た環境を変え新しい場で挑戦しているというその人に、何か分かり合えるものがあるようにも感じました。
人の事を想っているのに裏切られ、人が離れていくというその人。はたまた、人の事を想っているつもりなのに、次第に距離を置く私。
人と関わりたくて認められたくて仕方ないように見えるその人。人と出来るだけ関わりを少なくし無関心でいてほしい私。
似て非なるものではあるものの、お互いに交流が生まれる素地があったのでしょうか。
人格否定とまではいきませんが、攻撃的な言葉や大きな声で物を言う人というのはこれまで私の周りにはあまりおらず、居たとしても早々に私は関わることをやめています。
物音を立てる、人の話ばかりしている、人からの評価ばかり気にしている、自分を取り繕うことに必死、自分の意見が絶対だと思っている。これらは私が特に苦手とするところです。
職場などで仕方なく関わらないといけない人の中にはこういった苦手とする人はどこにでもいますが、プライベートではほとんどカスリもしないタイプの相手。
それなのに、新しい環境に身を置き始め、知り合う人たちが始めましての人ばかりの状況で人との交流が活発になっていたことから、その人に違和感を覚えつつも仲良くなっていく流れの中にいました。
しかし、どうしても理解に苦しむ言動が多く、ある特定の話になると決まって酷い物言いをされるのです。
私の何がその人を刺激しているのか?その言葉の奥にある本音は何なのか?を自分なりに探ってみましたが、いくら考えたところで本人にしか分からないこと。
勝手に紐づけるのもどうかとは思いますが、その人と関わり始めてからというもの、明らかに体調を崩すことが増えていきました。
急に理由もなく涙が止まらなくなることも。それもそうです、自己否定が始まっているのですから。
もう関わるのは止めた方がいいという事はどこかで感じていたのだと思います。そして流れが代わり、距離を置くことにしました。
最後に私は、その人がなぜ毎回例の話を持ち出しては私を非難していたのか問うたのですが、その答えは呆気ないものでした。
私がその人の言った通りにしなかった事が癪に障り、蔑ろにされたと感じていた様です。
それは、とある事に関してその方がアドバイスをくれていたところに遡ります。
知り合って数日、あることを検討していた私に「◯◯にしたほうが良いよ」とのアドバイスをくれたその人。
私なりにネットの情報や自分の状況・環境と合わせて精査し、最後はその道のプロの考えも私の考えと同じだった事から、その人のアドバイスとは別の方法を取りました。
それが自分を無下にされたと感じてしまった様で、面白くなかったのでしょう。本音を聞き出した際に「アドバイスをする為に掛けた時間が無駄だった」、とも。
事あるごとにその時の話を持ち出しては「お前みたいな考え無しな奴が人に迷惑を掛けるんだ」と非難され続けましたが、知り合って数日の出来事がまさかそこまで根深かったとは思いもよらず、無下にされたように感じさせたことは私も悪い事をしてしまったな、とは思いました。
しかし、アドバイスは有り難くてもどうするかは私の自由ですし、そこまで言われる筋合いは無いのではないでしょうか。
その本音の本音を聞き出すまでには相当な非難の言葉を私も浴びていますし、例のアドバイスも私が求めたわけでもありません。
今思うと、無下にされたと感じた事より、自分の思った通りに人をコントロール出来ない事が腹立たしかったのかもしれません。
私だけに限らず、世の中の様々な事を持ち出しては否定や非難を繰り返すその人。
こういったやり方でしか表現する方法を知らないのか、何かを盲信してしまっているのか。
1年経って知った真実
そして距離を置いて1年と1か月が経った2024年2月18日の今日、私はその人に騙されていた事を知ったのです。
その人について、本人が言っていた事と全く違う話がそこにはありました。口の達者なその人の言葉に当時の私はまんまと騙されていた様です。
人を欺いても平気な人間が身近にいたことにゾッとしたと同時に、ペテン師、詐欺師という人間が本当に存在することを、今回その人を通して知りました。
最初に感じた違和感、そして距離を置き冷静さを取り戻した頃に訪れたその人からの連絡を冷ややかに終えた自分は間違っていなかったのだと、今更ながらですが早めに離れていて良かったとホッとしました。
まとめ
1年経って知った真実は、衝撃と共に40代になってまでこんなアホな経験をするなんて、というものでした。
自分も粗が多く人の事を言えたものではありませんし、世の中キレイごとばかりでは生きていけない事も分かっています。
それでも、最後の砦である心根だけは守れる自分でありたいものです。