味仙人 relish hermit

40代おひとりさまの仙人暮らしのような日常を綴っています。一人暮らしの晩ごはん(ひとり飯)の献立や食費を中心に、おひとりさまが思うことなどを。

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身を守るには学習能力と技術が必要だった

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こんにちは、アジです。

昨日の記事に書いた件、書き出してすっきりするかと思いきや、思い出して余計に気分を害してしまいました。

負の感情を頻繁に表に出すことや、それらに触れることはなるべくなら避けていたいものです。出しても良いことなんてたいしてないですからね。

しかし、その記事を書いたことで気付けたこともありました。

私には学習能力が不足しているかもしれない、ということ。これに気付けた事は大きいです。

 

経験値

人は何かを経験するたびに経験値が上がっていきます。初めてのこともあれば、同じことを何度も経験していたり。

人生はそれの繰り返しなので、もし同じ状況が訪れたとき過去の経験から対処する術を学べるはずなのです。

 

騙される

若い頃、高額な矯正下着を購入した(させられた)という話を周囲で耳にしました。

なぜそんな物に騙されてしまうのか分かりませんでしたが、それは私が矯正下着を必要としていなかったからでしょう。もし体型に悩みを抱えているタイミングで出会っていれば、話を鵜呑みにしていた可能性もあるわけです。

その後、私にもその手の誘いが訪れました。

久しぶりに連絡がきた相手に誘われて向かった先は、マルチの化粧品勧誘。子どもの頃マルチに熱心な同級生の親がおり、そういった販売の仕方が存在する事を知っていた私は「やられたっ」と思うだけで済みました。

 

学習能力

こんな事が2回もあれば、さほど親縁ではなかった相手からの連絡には警戒するようになります。

これが学習能力です。

しかし、人から騙されるバリエーションはそんなに多くありません。

自分の居る環境でしか経験出来る事はないので、うんぜん万の株投資で詐欺にあったとか、偽物の宝石を掴まされたといったような騙され方はそうそうしません。

私と似たような生活を営んでいる女性が遭遇する可能性があるとすれば、クヒオ大佐のような人物に引っ掛かるか、不貞を働く男性に騙されるか、マルチか、信仰の類か、オカルトチックな物やサービス、知人や恋人からの借金の申し出くらいでしょう。

1度でも痛い目に合えば「次回は気をつけよう」「この手口は怪しいぞ」などど想像力を働かせて騙される事を回避出来そうではありますが、経験がなかったり「騙された」との認識がないままにやり過ごしてしまうと、同じ事で何度も騙されてしまうのかもしれません。

 

騙された経験

しかし、そんな目には出来れば合いたくないですし、対人関係や恋愛関係では端から疑うより信じたいですよね。

騙されたというわけではありませんが、私は人から指摘されるまで、自分の立場が悪い状態にあることに気付かない節がある様です。

いいように使われているだなんて私は感じていないのに、周囲からはそう見える事があるらしく、気を付けるよう指摘をされたところで初めて「えっ?私はあの人にいいように使われていたの?怒」となる事がこれまで何度かありました。

指摘され始めた最初の頃は、私はそんなこと微塵も思っていないのに、指摘してくる人の意見や考えに同調してしまうのが良くないのだ、それは私の考えではないのに。そんな風に思っていました。

悪い印象を抱いていなかった相手から実はいいように使われているとなれば、私のその人に対する印象がガラッと変わってしまいますし、関係が悪化することは避けられません。

いきなり私が牙を剥いてくるわけですから、相手からすれば青天の霹靂。指摘してきた人もそんな私に戸惑ったり、意固地になっている私の態度に周囲は驚き、以降印象が悪くなったり。

そういう事があると、なんだか人の意見に操られているような居心地の悪さも感じていました。

 

対処法を学ぶ

しかし、今ではその人達の意見はあながち間違っていなかったのではないかという事も分かります。

頼まれ事が続いたり、他の人と比べて差が分かるほどに業務量や責任を増やされたり、そのうちキャパオーバーになってしまう自分を何度か経験していくと、私の態度がそんな状況を招いてしまっているのだと分かってきました。

仕事や頼み事をする人が、「いいように使ってやろう」「騙してやろう」などという意識がないのは百も承知で、それでもやはり断らなさそうな人、手を抜かずにやってくれそうな人、言いやすい人を選んでいるのはどこも同じ。

力の出し方を調整しながら要領よくできるまでには至っていませんが、必要以上に負担を押し付けられているなと感じたら、1人でそれに応えることは出来ない旨を伝えられるようにはなりました。

 

嘘を見抜く

そうやって次に繋げていけることなら良いのですが、人の嘘を見抜くのはそれなりに技術が必要です。

一年越しにたまたま前回記事の相手の真実を知ったくらいですから、気付かなければ今もその人の話を信じていたでしょう。

胡散臭い、なんとなく、直感で、なんてものはたとえ正しかったとしても、人を騙すような相手の手に掛かれば簡単に無かったことにされてしまいます。

感覚的なものを伝えれば伝えるほどに、目に見えないおかしな事をいうそっちがオカシイ、気持ち悪い、などと言われることも。

人との会話の中で何かおかしいな、辻褄が合わないな、矛盾してるなと思っても、ついそこを尋ねることなく相手の話を聞いてしまいがちです。

嘘を付き慣れている人物は、嘘を付かれ慣れていない者に比べて経験値や場数が違うのですから、騙されない為にはこちらも対等に話せる技術が必要だと今回感じました。

それは何も現実世界で体験する必要はなく、小説やドラマ、映画、ドキュメンタリー、心理学などからも得ることは出来るでしょう。

 

まとめ

自分の身を守るには、学習して次に繋げる能力と技術が必要だった様です。

仕事の場では少しずつ実践していましたが、プライベートではその視点がやや欠けていたようにも思います。

騙される前提で世の中や人を見るのは残念なことですが、人生後半も日々学びと実践ですね。