2024-12-19 たまには本当に欲しいものを買う 仙人の稼ぎと財布 ※記事内に広告あり ピンポーンピンポーンと荷物が届く。 全くといっていいほど宅配便がない時期もあれば、こうして連日インターホンがなる時もあります。 例のうっかり、からアマプラ会員になってしまった今年。映画もまだ2本しか見ていません。 皆さんはこの年末セールで何を買いましたか?初売り待ちでしょうか? 100均や趣味の道具の購入は多いと書きましたが、本当に欲しいものはほとんど買えていません。 本来趣味に関することは「必要なもの」ではなく「欲しいもの」に当たるので、欲しいものを買えているではないかと反論があるでしょうがスルーするとします。 私から趣味を取り上げたら廃人まっしぐら、生きた屍になってしまうので、必要なものとした方がしっくりきます。 私のここで言う「欲しいもの」というのは、絶対に買わないといけないものではないけれど、金額やお金を理由に買えずにいたものの事。 本当は欲しいけど、我慢していたもののこと。 例えば、「スマホを買い替えたい」という事ならば、いずれ機種変更のタイミングはくるわけで、今買い替えようが追々変えようが、その希望は叶う。 でも、「タブレットが欲しい」だとどうでしょう?必ずしも必要ではないものは、買う決断をしないかぎり手に入ることはありません。 ↑これは、何を買うか、何をするか忘れる自分の為に、長年続けている習慣のメモの一部。 これを付けていても買い忘れる事はあるし、メモをしようと思った数分後には何を書くのだったか忘れる事もあります。 この【買うもの】の欄は、時間差はあれどいずれ購入に至るもの。 「すぐに買いたいもの」を上に、「余裕のある時や見つけた時に買えれば良いもの」を下に書くようにしています。 購入したら◯印を付け、時間のある時に購入が済んだものをコピペで下に移動します。 この欄は、必要でなくなったりどうでもよくなった場合は、✕印がついたり消される事もあります。 【欲しいもの】の欄にあるのは、先の例でいえば「スマホの機種変更」にあたるもの。 今すぐではないけれど、いずれ買うであろうものがここに記入されます。 オーブンはパウンドケーキ作りにハマっていた頃に記入したもの。今ではその熱も冷めており、無くても問題ないものとなりました。 今後もし、たまたま超特価価格で見つけた場合はこのメモを見て欲しかったことを思い出し、デザインやメーカーにコダワリがなければ購入するかもしれません。 しかし、「オーブンが欲しい」ただそれだけで、商品を調べる等していないところをみると、そこまで欲しいものでは無かったのだと思います。 リンク 肝心なのは、今ではこのメモ一覧に記載されることもなくなった物たち。 ECショップでお気に入りに入れている物たちです。 お気に入りは追加するごとに後ろに追いやられ、本当に欲しいものと、ちょっといいなと思ったものが一緒くたになってしまいます。(カテゴリー分けをしていない) なので、特に欲しいものをメモに書き出したり、スクショを撮って専用の画像フォルダに入れたりと以前はしていました。 ↑これは数年前に書き出していた欲しいものたち。(この頃は衣類系に興味が向いていた様です) 値が張るものがほとんどで、これら全てを買うことはもちろん出来ません。お金に余裕のある人だって、欲しいものを片っ端から買うわけではないでしょう。 せめて、この中から1つや2つでも買えたら良いですが、◯が付くことはないままにメモ一覧に残り続けるこれらのもの。 内容がある程度溜まったら新規メモに移るので、いつからかこの【本当に欲しいもの】たちは記載されなくなりました。 〜書き出したところで手に入ることはないのだから〜 そんな風に、本当に欲しいものは手に入らないと思うようになっていったのかもしれません。 欲しいものに書かれている↓このバッグなんかは、買えない金額でもなかっただろうに購入していません。 今見て欲しいかと問われると別に欲しくはない。ということは、その時は欲しかったというだけ。トートバッグとしかメモしていないので、このバッグだったのかも分かりません。 リンク 一方、今はもう販売されていないリスト中のレザーシューズが今も欲しいか?と問われると、今でも手に入るなら欲しい。 販売終了したあともやっぱり気になり、海外のサイトならあるのではないか、フリマサイトに出ているのではないかと探したりもしました。これは私にとって本当に欲しいものだったということです。 リンク 欲しいものも月日と共に変化していくものですが、本当に欲しいものを我慢ばかりしていると、自分は何が好きで何が嫌いなのか、どんな物に心惹かれてどんな物には興味がないのか、そんな感覚や感度も鈍くなってくるのかもしれませんね。 そして、「妥協して買ったもの」や「とりあえずで買ったもの」に囲まれるそんな自分が当たり前になっていく。こんなもんだと疑わなくなる。 コレジャナイ感を感じながらも「お得に買えた」を免罪符に、そんな事はないと気にしないフリをする。 本当に欲しかったもので得られなかった喜びを、ちょこちょこ買いすることで埋めようとする。 断捨離をして物を持たないようにすることと、本当に欲しいものを我慢することは全く違う。 私は何か勘違いをしていたのではないか? リンク 先月、趣味の分野でずっとやりたいと思いながらも「お金が掛かるし、いつか」と先延ばしにしていた事をやることにしました。 キッカケはふとした事からでした。あんなにお金が勿体ないかもと渋っていたのに、やると決めた途端何かかが吹っ切れたかのように清々しい。 「いつか」と言いながら(言い聞かせながら)も、ずっと心に引っ掛かっていたんですね。それを自分でも分かっていました。 掛かったのは、10,000円いったか、いかないか。 エルメスのバッグが欲しいとか、クルーズ旅行がしたいとか、そんな大層で大掛かりな事ではありません。 私には大金ですが、いつかと先延ばしにする程の金額でもないのに、いざ取り掛かるまでには時間が掛かったものです。 そしていま、やっと喉のつかえが取れたようにも感じます。 リンク 手芸が趣味の人は、本当に欲しい生地があるのに、高いからと100均の布で我慢している。 釣りが趣味の人は、磯釣りにいってみたいのに、チャーター代が掛かるからと我慢している。 焼き物が趣味の人は、自分でも作ってみたいと思っているのに体験料が勿体ないからと我慢している。 漫画が趣味の人は、本当は本に囲まれて生活したいのに、ミニマリストの方がかっこいいからと言い訳をしてレンタルの漫画で我慢している。 本当は欲しい家電があるのに、新春福袋でお得に購入した、思い入れのない商品を使っている。 ソファを買い替えたいのに、まだ使えるしと言いながら何年も経っている。 こういう人もけっこういるのではないでしょうか。 節約は必要だし、欲しいものを買えるような余裕はない。お金が湯水のごとく湧いてくるわけでもないのだから、何かを「買う・する」には他で調整しないといけない。 でも、自分のためにと思い切って土鍋を買ったときのように、たまには自分の本当に欲しいものを買うこと、やることの大切さを久しぶりに思い出しました。 そうやって購入したもの、自分が本当に欲しくて購入したものって、やっぱりそうでないものよりも思い入れや愛着が湧くものですよね。 自分を観察していて分かってきたことは、金額を理由に購入(やること)を諦めたものは、だいたいが本当に欲しかったもの。 対して、買えないこともないが保留にしたものや「高いなあ」と思うものは、何かしら引っ掛かる点があるということ。 本当に欲しい高額の物に対しては「高いなあ」ではなく、「素敵だけど自分には買えないな」の方が近い。 こんなご時世だけど、こんなご時世だからこそ、自分を喜ばせることを疎かにしてはいけませんね。 (こんな記事を書きながら、ガソリンが高い、物価が高いとまた嘆き記事を書くまでがデフォですが、今だけは本当に欲しいものを買って多幸感に包まれているこの気分に浸らせてください) ちなみに私は、直近で「お気に入り」に入れ、かつカートに入れていたものを購入しました。 買うわけではないけれど、購入した場合のポイントや合計額を調べる商品は、その他のお気に入り商品と違って本気度が強く、本当に欲しいものだったりしますね。 Make a wish come true