2024-07-25 エアコンを付けない自慢はいいから早くそのボタンを押して 仙人のねぐら(住) ※記事内に広告あり こんばんは、アジです。 日中の室内温度が30度を超える毎日。みなさんはエアコンはつけていますか? この猛暑続きのなか、エアコンをつけない人がいます。そしてそのエアコンを使わないことをなぜか得意気に口にする人もいます。 Yahoo知恵袋に「エアコンをつけない自慢をする人は何と戦っているんですか?」という興味深い質問がありました。彼らはいったい何と戦っているのでしょう? 私のエアコン事情 体質 高湿度 エアコンを付けない理由 車のエアコン エアコンを付けない自慢 見えない敵 余所は余所 私のエアコン事情 私も元々エアコンが好きではない人の一人。使わなくて済むならば使わずに居たいと思う方です。 でも、ここ数年はそんなことを言っていられないくらいに蒸し暑い。耐えられず「除湿」のボタンを押しています。 体質 暑い場所からキンキンに冷えた部屋に入った時の、あの気持ち良さはたまりませんが、長時間当たっていると体の調子が崩れるのはたしか。 暑さよりも寒さの方が苦手なので、冷気にさらされ続けるのはそれはそれで体力を消耗します。 高湿度 そうはいっても、太陽の照射による暑さには強い一方、高湿度な状態にはめっぽう弱いのが残念なところ。ここ数年は、全くのエアコン無しとはいきません。 実感としては2021年から。高温多湿の日本の夏ではありますが、気温の上昇そのものよりも近年のこの湿度の高さ、熱気は異様だと感じています。 エアコンを付けない理由 エアコンをつけない人の理由は 外の風や扇風機で充分だから 自然風を浴びていたいから 電気代(またはガソリン代)がかかるから 冷え性だから 体調を崩すから などでしょうか。そもそもエアコンを使わない生活をしている人にとって「つけない理由」は特にないのですよね。必要がないから、それだけ。 車のエアコン 以前、真夏の車中でエアコンも付けずに昼休憩をとっていた私に対し、なぜエアコンを付けないのか不思議がられた事があります。 空気の流れ(外気循環)があった方が落ち着く人も居るのです。(最近では全く泊まる事もなくなりましたが、ホテルの密閉された空間の空気も苦手) そして、外気温の中で程よく汗をかくのが気持ちよかったりもするのです。別に地球のために、とかそういう事ではありません。 エアコンを付けない自慢 しかし、必要がないなら誰だってつけませんよね。みんな対策をしないと不都合があるから、快適に過ごしたいからエアコンを使用しているわけで。 エアコンを使わない事は自慢することでもなんでもないのに、たまにそういった人がいるのも事実です。 わざわざアピールすることではないのに言わずには要られないその人達は、いったい何と戦っているのか。 見えない敵 おそらくエアコンを付けない事を自慢する人にとっての敵というのは、【自分の思い描く自分像が崩れること】なのではないか?と思います。 (意識高い)エコ意識のある自分 自然派である自分 テクノロジーに頼らない自分 文明に頼らない自分 資本主義に対抗する自分 良い環境に住んでいる自分 ストイックな自分 汗っかきではない自分 か弱い自分 あたりでしょうか?とにかく、自慢をするという行為には何かしらの意図があるわけですから、自分が見られたい自分像を作り上げる、または維持することがその人達の重要課題。 そんな事はどうでもいいから、誰も責めたりしないから、暑さで倒れる前にそのリモコンのボタンを押してくれよ、と思ってしまいます。 余所は余所 エアコンを使う使わないといっても、環境や体質で全く必要性が異なります。 築年数の古い家と、断熱材がしっかり入った近年の家とはその暑さは全く違う。関係あるのかは分かりませんが、2003年以前に建った家とそれ以降の家も違うのではないかと思います。(建築基準法の改正で義務化された24時間換気システムの有無) 平野部と山間部でも、また海抜でも気温は全く違う。 また、エアコン完備の中で働いている人の体と、外仕事に慣れている人の体も違う。 エアコンが無いのが当たり前で育った人と、エアコンの中で育った人も感じ方が違う。 寒さに強い人もいれば、暑さに強い人もいる。昔と今では環境も違う。 エアコン使用の有無は、自慢することでもなんでもありません。「使わずに生活できている人もいるのだから自分も!」と無理をしないでほしいものです。 電気代が、ガソリン代が、という場合は、代わりに払ってあげることは出来ないのでどうしようもないですが・・・(付けない理由がこれの場合は自慢ではありませんね) ひと夏の2ヶ月ちょっとの電気代と自分の命の重さを比べた時に、あなたの命の価値はその電気代より軽いのですか?と問いたいです。 必要ないなら無いに越したことはないですけどね。