2024-11-21 訃報続きな最近。火野正平さん 仙人の戯言 ※記事内に広告あり 今日は赤飯にかぶりつきながら。 火野正平さんの訃報を伝えるニュースを目にした。 火野正平さんといえば昭和の浮き名を流した俳優として知られていたが、まだ彼よりもうんと若かった私も彼の事が好きだった。 どの作品だったかは覚えていないがそれはおそらく2時間サスペンスで、役柄がそうだったわけではないのにその人物にはやけに色気があった。 色気が何かをよく知らない私にも、画面越しにそれは伝わってきた。 特に火野正平さんのしゃがれた声が好きだった。 今ではテレビを見なくなった私も昔はドラマが好きで、親しみを感じていた俳優さんが一人、また一人とこの世を卒業していっている。 自分も歳をとっているのだから、俳優さんがずっとあの頃のままであるはずもない。それなのに、やはり哀しい。 近い親族と数少ない友人との別れは耐えられないほどの哀しみを伴うが、ニュースや市報でどこかの誰かの訃報を目にしても逐一哀しみは伴わない。 もう居ないことを哀しいと感じるのは、そこに良い記憶があったからなんだと思う。 さて、色気とは何なのか。これまで自分の周りに色気を感じる人が居ただろうか?と振り返ってみる。 四十数年分の記憶を辿ってみたが、ピンとくる人物を思い出すことは出来なかった。 では色気とは何かをどうやって知ったのか。 女性の場合の色気というと、良い香りを漂わせ、流し目などで異性をその気にさせるフジコちゃんみたいなものをイメージする。 男性の場合は何を持って色気というのか今も分からないが、落ちる木の葉に何かを感じるような、心の中に歌唄いを飼っているような、そこはかとなさを垣間見た時に色気を感じるように思う。 そして気怠さに似た、脱力感と。 自由と孤独、そして音楽を愛するスナフキンがそうかもしれない。 そこは「時に垣間見れる」「何故だか分からないけど漂っている」が大切で、豆腐メンタルに色気を感じるという事ではない。 ましてや、食っていくだけの力もないのに万年無職やニートでも困るし、四六時中ポエムを語られても鳥肌が立つだろう。 そんな事を思いながら、過去の火野正平さんの出演番組を見ていると ―たぶん人は、俺の事をそんなに好きじゃないんだろうなと思って― ―だいたい人嫌いだったしね。どうせ悪口言ってんだろこいつら、とか思ってたし― と発言されていて、「あ、同じだ」と思った。 そんな自分が自転車旅に出演するようになり、人に話しかけられるようになった、と。 私は旅番組は見ていなかったが、各々コメントで 動物と女性には優しかった すぐに動物と仲良くなれる 昆虫や植物、動物と戯れる などの生前の姿が記されており、若い頃に彼から感じた色気とは、やはり上に書いたようなものなのだと分かった。 それは色気を感じたのではなく、共感する何かを感じたということかもしれないけれど、雲の流れる様をみて時間が経ってしまうような、そんな時間を愛おしく感じられるような人に、私は色気を感じるらしい。